2011年12月アーカイブ

 またこの日がやってきた。

 地元悪友による、怪しい会合。ゲリキャン。

 そうは言っても、いまや皆家族子持ちとなり、完全に毒を抜かれた格好となってはいるが、その心の奥には今なお隠し持っている怪しいマインドが見え隠れする。

 今年は、僕が多忙だったために連絡もまともにしなかったが、それでも冬ゲリは12月30日、31日と決まっているので、まぁ何とかなった。会場も例年の場所をおさえることができた。

 しかしながら今年からは180SXで行くこともかなわなくなってしまったようだ。ピパ子氏はバモスで行くと言っている。1月3日はフリーなんだから(ピパ子氏が子供をつれて実家に帰るので)その日に勝手にやりなさい、とのこと。早朝の碓氷峠攻め納めもできなくなってしまったのか...。

 目下の楽しみは、子供を寝かしつけた後の悪友たちとの飲みだが、最近は子供を寝かしつけると同時に自分も翌朝まで意識不明になってしまう輩も出る始末。みんな歳をとりましたな。

 となると、早朝のサッカー「朝練」かな。Kもそこそこサッカーらしいことができるようになってきたし。

 って、こういうことを書き始めると、過去のエッセイなんかも早いところこっちのサイトに持ってこないといけないって思う。「ゲリキャン白書」とか、古いサイトにリンクはってもしょうがないもんね。

 話をもどそう。

 そんなわけで、これから準備して出発となる。地元悪友のテレビ屋Tと一緒に食材を買って、関越に乗って行く。もう、波瀾万丈の大事件の連発とはなるまいが、地元悪友と会えるこうした機会が定期的に持てるのは幸せなのである。

 会社から全営業に支給されている電話がiPhoneに変わった。うちの会社も最近iPhone対応の商品なんかも出しているから、ま、その説明とかするのにもiPhoneが必要になるってことだと思うんだけど。

 一応僕は「営業」という扱いになっているので、僕もその対象である。

 このiPhone、auである。

 これによって、僕はWILLCOM、Softbank(ハイブリッド03に付属しているSIM)、日本通信(回線はNTT DoCoMo)、KDDIの4つの回線を持ち歩ける状態になった。ないのはEMobleくらいか。

 

today180_20111229.jpg だから何って言ってしまえばそれまでなのだが、ま、あまりいないかなって、それだけです。携帯アプリとか作ってる会社の社員でもなければ、なかなかないでしょ。

 そう言うことにしておく。

 iPhoneはまだ初心者なんで、これからいろいろやってみたいとは思うけど、やっぱ僕は、iPhoneの挙動がいまいち合わないっていうかタイミングずらされちゃうみたいなところはあるかな。

 ま、そう言う所も、いいところも悪い所も含めて、iPhoneとAndrondを比較できる環境になったのはいい。iPhoneは会社のだから、あまり好き勝手なことはできないけどね。でもまぁ積極的に使っていきたい。

 差、つけないといけないからね~。他のヤツには負けていられない。会社がiPhoneを支給したってことは、研究しろってこと。単に電話が変わったっていう考えじゃ、淘汰されてしまう。

 この休みもやることいっぱいだな。

 先日Twitterにも書いたのだが、電車の中などでは多くの人がイヤホンで音楽を聴いているが、僕は、音楽を聴くという生活スタイルではない。

 家には音楽を再生できる機器はない。ま、携帯くらいである。携帯に音楽は入っているが、聞くことはあまりない。第一、イヤホンを持ち歩いていない。絡まったイヤホンをほどいている姿が何ともスマートではない。イヤホンをしているとき、襟にコードが引っ掛かって、耳からイヤホンがポロリと外れたりするとイライラする。

 そう言えばソニーのノイズキャンセル機能付きのイヤホンを買ったが、結局今は使っていない。そのような問題を解決するのは、Bluetoothのヘッドホンにするしかないだろう。

 しかし、音楽を聴く生活、というのには実は憧れるのもまた、事実だ。音楽を聴くという余裕というか、そう言う時間の過ごし方が豊かな感じがする。前述のソニーのイヤホンを買ったのも、そういうことに憧れてのことである。しかし、潰えた。

 なので、今日はウィスキーでも傾けながら、音楽でも聴きたいな、と思う瞬間はある。そういう時は、得てして突然やってくる。その時、適切な音源がない。いつも聴いていれば、そう言うのにも困らないのだろうが。

 で、である。そんな迷える僕にぴったりのCDを、先日書店で見つけた。

 「CDなのに、書店?」

 と、お思いの方もあろう。実は、書籍なのだが、8cmのCDが付いているのである。その名も「心を癒すクラシック音楽【CD-ROM付き】」。アマゾンなどでタイトルだけ表示されたとしても、CDが付いていることを明確に伝えたいから敢えてタイトルに「CD-ROM付き」としたのであろう。

心を癒すクラシックの名曲【CD-ROM付き】 (ソフトバンク新書)

 僕は、聞きたい音楽としてジャンルはあまり限定しないが、クラシックもまた、好きである。先ほど述べたような、ウィスキーを傾けながら...というシチュエーションに、クラシック以上に適したジャンルはない(私見)。

 また、「教養」という意味でも、クラシックをかじっているのはいいことだと思う。バカみたく詳しくなくていい(そんなのムリだ)。「へー、この人そんなこと知ってるんだ」と思われるだけで十分だ。自分に興味を持ってもらう、これはすごく大事なことであると思う。

 この本に付属のCDには、気軽に聴けるよう3~5分にアレンジされた、リラクゼーションへと導いてくれる音楽が90曲と、気分が高揚する「勝負」曲11曲の、計101曲がMP3で収録されている。

 どれも、どこかで聞いたことのある親しみのあるフレーズで、それが、お風呂で聴きたい、週末に聴きたい、昼休みにリフレッシュしたいなどの多忙なビジネスマンがほっと一息つきたくなるような8つのシチュエーションと、番外編として先ほどの「勝負」曲の全9つに分類されている。

 このカテゴリ分けが、多忙な毎日を送り、自分自身のリセット法を探している僕にとって、絶妙に刺さった。値段も見ないでレジに持ち込んだが、850円だと言われて、その安さにまた驚いた。

 本誌の内容は、どういう理由でその曲がここに選ばれたのかなどが極めて平易に書かれている。難しい話やうんちくは最小限に抑えられている。

 専門家になるわけじゃないんだから、ビジネスの教養として蓄積するのはこの程度が丁度良い。これ以上いろいろ知ってしまうと、例えばクラシックに詳しい人と会ったときに、釈迦に説法してしまったり、聞こうという姿勢をとるのに影響が出てしまう。そう言う人から実のある話をしてもらうだけの、きっかけ作りと、この人なら話しても分かりそうだ、と思ってもらえればそれでいいのである。

 ちなみに僕としては、勝負曲にドヴォルザークの第9番「新世界より」第4楽章が入っていてほしかった。クラシックの中で勝負曲と言えば僕はこれである。

 そんなわけで、僕は、自分が今リラックスしたい!というシチュエーションに合わせ、音楽のプロが推してくれる曲を聴ける環境を得た。果たして、無音楽生活に終止符を打つことができるのであろうか。このあとの経過を楽しみにしておいてほしい。

 世の中はクリスマスムードのはずだが、全くそういう雰囲気がしない今日この頃である。

 ま、そういうイベントに胸ときめくことがなくなったことや、多忙で家と会社の往復が続いていることが原因であると踏んでいる。

 しかし、そういう気分にかまけていると、子供のクリスマスプレゼントを検討するという結構重要なタイミングを逸したりする。特に問題なのはKで、そろそろ適当なおもちゃを買っておけば何とかなる時期が終わって来た。

 本人なりに趣味趣向が確立してきて、ストライクゾーンが狭くなって来ているのである。

 そうする中、ピパ子氏とKのクリスマスプレゼントについて打ち合わせた。

 細かい紆余教説は省くが、結果的には天体望遠鏡にしようということになった。天体望遠鏡なら大賛成である。て言うか、オレが欲しい。

 僕も実は天体望遠鏡が欲しかったが、買ってもらえなかった。別にダメではなかったんだと思う。しかし、親がそういうことにたぶん疎かったのだろう。だから、そういうものを買うという方にどうも足が向かなかった、というのが原因と看ている。

 そういうアカデミックなアウトドアは最高である。夏のキャンプでも使える。て言うか、オレが使う。

 そういうわけで、天体望遠鏡となった。子供を理由にオレが使うモードに完全に入った僕は、ほとんどない天体望遠鏡の知識をたとえ付け焼刃であっても増強することに数日間を費やした。

 僕は基本的に最初に良いモノを買っとけ、というスタンスなのだが、天体望遠鏡の場合、良いものを選んでもキリがない。ハマったらどうせ買換えの必要性に迫られるものだと判断、今回はお試し路線で行くことにした。そうは言っても、あまりひどいのはこの趣味そのものをスポイルすることになってしまう。このバランス感覚をどうとるかがカギで、僕なりに下した判断は、ビクセンのミニポルタA70Lfというモデルにした。

Vixen 天体望遠鏡 ミニポルタ A70Lf

 入門用としては、実際に見たい方向を向いて照準を合わせる屈折式で、上下左右に移動する経緯台で、140倍程度の倍率があり、軽いものという条件でこれになった。

 あとは、使ってみて、何がいいか悪いかは分かってくるだろう。

 ネットで買うと、クリスマスまでに到着しない可能性があるので、ヨドバシAkibaで購入することにした。前回の日記に書いたタムロンのレンズはその時に発見したという寸法だ。

 で、事件はここからである。

 実際にはこの大きさを見たが、大方予想した通り、デカ過ぎて持ち帰りは不可能。しかし、自宅に送ると荷受時、Kにバレる可能性があるので、実家に送り、安全な時に自分でハンドキャリーする方法を考えていた。予想していたので、実家にはその旨了解済みであった。

 まず最初に問題として起こったのが、物がデカ過ぎて、通常ヨドバシが配送に使っているヤマト便の最大サイズギリギリであるとのこと。

 こんなデカイものは自分ではラッピングなどできないので、ラッピングを頼んだが、ラッピングした上にヤマトの送り状は貼れない。したがって、ラッピングの上からさらにプチプチで包装して、持ち手を付けてそこに送り状を貼ることになる。そうなると、サイズオーバーとなってしまう。

 地下にある郵便局の窓口に持っていくとかいろいろな方法を検討してくれた結果、最終的にヨドバシが社内的に使っているエスラインギフという業者がやってくれるということになった。 ただし、時間指定はできない、とのこと。

 相当時間を要したが、悪い気はしなかった。対応したヨドバシスタッフの一生懸命さが十分に伝わってきたからである。

 伝票を記載したとき、一つの不安がよぎった。

 送り先は実家、送り主は自分。実家と自宅が至近なので、住所が極めて似てしまうのである。また、配送ドライバーによっては既にこの両者が親子関係であることを知っているドライバーもいて、過去にもウチが不在だった時、実家に置いて行かれたりしたり、その逆というケースがあった。

 時間指定はできないとなれば、実家も不在の可能性がある。その時、ウチに持ってこられたのではKにバレる。クリスマスプレゼントはサンタさんが持ってくることになっているのだ。

 「住所が似ていますし、ドライバーによっては親族関係であることをご存じの方もいます。しかし、今回は不在だからと言って、ウチに持ってこられては困ります。」

 と、伝えた。

 「わかりました。「送り先厳守」と、申し送りしておきます」

 しかし。

 恐れていたことは起こってしまった。

 実家に問い合わせたところ、事前に電話があり、10時までならいると回答し、9時半頃つきますと言われたにもかかわらず来なかったというのである。

 よく見れば、朝、ピパ子氏からの着信が入っているではないか。すでに夕方になっていたが、もしやと思いかけてみると、クリスマスプレゼントは送り主であるウチに届いていたとの報告であった。

「冗談じゃねぇぞ!!」

 ただ幸いだったのが、来たのが朝9時半で、子どもたちはすでに不在だったということ。妻のピパ子氏は巨大な箱をひとりで2階まで持ち上げ、少々不安はあるもののクローゼットに隠し、あわてて出勤したという。

 手はずは完ぺきだったはず。「送り先厳守」をつけた時点で、この作戦は成功したと思ったのに。悔しさがこみ上げる。

 最初、どうやって文句を言ってやろうかいろいろ思案したが、結局辞めた。疲れた。不買運動をしてやりたかったが現実的には不可能だ。悔しいが、結局消費者は弱者なのである。

 しかし、問題は一体どこで起きたのか。ヨドバシスタッフが「送り先厳守」を伝え忘れたか、ドライバーがそれを見落としたのか。真実が知りたかった。

 真実は闇に葬られるのかと思った金曜日、携帯を見るとものすごい数の着信履歴があった。

 かけてみると、エスラインギフのドライバーであった。

 間違えて送り主に届けてしまったので、再度荷受して正規の送り先に届けたいとのこと。真っ先に聞いたのは「ヨドバシから送り先厳守の申し送りはあったのか」ということ。

 回答は、あったがドライバーである自分が見落とした、とのこと。

 これで全ては判明した。一応そう指定した理由も話した。「私にも小さい子供がいるのでご事情はよく分かります。大変申し訳ございませんでした」

 結果的にウチに来るものであり、今は安全な場所に隠してある。だから、もういい、と伝えた。しかし、一応送り先に届けていないということがいいかどうか、報告するとのこと。

 その後すぐにヨドバシ配送センターから連絡。「送り先厳守というご指示を頂いたにもかかわらず、それを守ることができませんでした。今回はお客様の方のご対応およびご親族同士ということで、大事には至りませんでしたが、場合によっては大変なことにも繋がりかねない間違いでございました。今後2度とのこのような事態が起こりませんよう指示を徹底してまいります」とのこと。

 同様の電話は実家にもあったという。

 結果的に、僕としてはそう悪い気はしなかったというのが事実である。

 要因としては、ヨドバシスタッフの最初の対応。時間はかかったが、一生懸命さを感じた。店頭はクリスマス商戦で大忙しだったが、このスタッフはその貴重な時間を僕だけのために費やした。これはなかなかできることではない。この方の対応で、僕の意識は相当プラス側に傾いていた。だから、この次のトラブルにも耳を傾ける余裕が出来ていた。

 続いて、配送業者からの電話。「私が間違えた」とすぐに言った。僕が最も知りたいと思っていた真実が闇に葬られることなく、本人自ら説明があったこと。これ以上に明快な説明はない。

 続いてヨドバシ配送担当者からの電話。結果オーライだったんだから良いじゃん、的な発想ではなく、大事につながりかねないミスであったと認識していること。送り主、送り先双方にドライバー、配送担当者から説明があったこと。

 これがあったらこれ以上責めてはいけないと思う。間違いは誰にでもある。

 素直に認めたのを良いことに、鬼の首でも獲ったようにソレ見たことか、だったらそれを見える形にしろとか言い出すと、「認める」という勇気を踏みにじることになる。そういうバカな消費者がいると今後そういう姿勢をとるのに躊躇する文化が出来てしまう。

 ここにこの話を書き記したのは、「こういうことがあったぜ、ふざけんなコノヤロー」という事件を暴露したいのでは決してない。顧客対応という点で何が一番大事なのだろうかと、自分も似た立場に立たされることがある。その時、やっぱり原因がどこにあったのか、なぜそれが起きたのかをすべて説明することが、最も正しいことなのだと僕自身も確認したかったし、それを世の中に伝えたいと思ったからである。

 「間違いを認める」という我が国の美しい文化を後世に伝えるには、認める側だけの一方的な努力では不可能だ。それがあれば、許されるという図式があってこそ、成り立つものではないだろうか。

 今年もいいクリスマスが迎えられそうである。

 先日、久しぶりにヨドバシに行ったら、こんなレンズが置いてあった。

タムロン ソニーEマウント用 18-200mmレンズ(ブラック)

 ヤバいでしょ、これは。マズいでしょ、これは。

 タムロンのスペシャルサイトはこちら

 いやもう、もらったボーナスは全部家のローンの繰り上げ返済につぎ込もうと思っていた矢先、こんなの見ちゃうとね~。

 ...どうしよう?

 何か前にも書いたような気がするけど、標準で付いてた16mmの単焦点レンズは、僕の技術じゃ思ったように撮れない。KIPONのマウントアダプターでニコンのレンズをつけてるけど、こちらは画質はいいけど、ピントもフォーカスも全部手動。写真は今までもこれからもフルマニュアルだから良いんだけど。

 何が困るって、ビデオね。今、写真もビデオも、NEX-5に一本化したから。

 NEXにはあれだけ大きな画面が付いているが、それでもピントが正確に合っているかどうか、シビアな部分までは判別できない。録画した映像を見て、「若干ピンが甘いな」と思うことしばしば。ていうか、まず100%そうだね。やっぱり、録画時はオートでピントくらい合わせてくれた方がありがたい。

 ...できるかどうか、確認していないんだけど。でも、端子が付いているからきっとやってくれると思ってるんだけど。

 あー、車の時と違うこと言ってるな、オレ。

 でも、画面じゃやっぱり分からないのよ。面倒くさいんじゃなくて、できないんだからこれは仕方ない。

 しかもこれなら、35mm換算で27mm-300mmでしょ。かなりオールマイティだよね。ひとまずこれ一本付けときゃぁ何とかなる。写真家じゃないんだからこれ付けてひとまず何でも撮っときゃ良いんだよ。

 で、いろいろこだわりが出て、お金が許せば、もっと明るいニコンのレンズを買えば良いんだし。

 今はまだ静かな物欲なんだけど、これが抑えられないくらい発展してくるんだろうか。

 

 日曜日は試合だった。人数が少なかったので、僕も40分ハーフの試合のうち、スタメン~後半20分まで出場した。

 久しぶりの試合だったんだけど。

 Kのサッカーの関係で、3週連続で休んだし、その前はろっ骨にひびが入っていた(医者に行っていないので自己判断)ので試合には出なかったということもあり、結局2ヶ月弱ぶりってところ、ってのもあったと思う。

 試合があったのは日曜日(11日)だったのだが、その前の金曜日、試合に備えてというか、単に寒いからというか、最寄駅から自宅まで、少し早目の速度で走って帰った。距離にして約1km。

 そしたら、その晩。足がつった。深夜2時ころだったと思う。20分くらい痛みは続いた。右のふくらはぎだったのだが、その後も違和感は残り、日曜日の試合当日も引くことはなかった。試合中もつるんじゃないかと不安に思った。

 そんなことを同じチームに所属する地元悪友Zに話すと、「うるふ、相当体に来てるな」と言われた。

 うーん、悔しい。しかし、その通りなので言い返す言葉もない。そしてそのまま試合に入った。

 まず思ったのが、目が相当悪くなっている。ボールが見えない。暫くしてから、ボールが実はこっちに向かって来ていたことに気づく、みたいなことはしょっちゅう。なんとヘディングまで空振りした。

 味方もだれだか分らない。ユニフォームの色で敵味方は分かるものの、味方の誰なのかは背番号も含めて判別できないまま試合を続行。

 筋力の低下は著しい。スローインも飛ばない、キックも同様。

 走りで勝負する場面はこの日はなかったが、あれば体力の低下をより分かりやすく思い知らされることになったに違いない。まだ38でっせ。

 自分の周りには50過ぎてもシニアに移らず、一般のカテゴリで頑張っている人がたくさんいた。自分もそうなりたいと思っていたし、今でもそう思っている。できればKと一緒にプレーして終わりたい。

 Kが大学になるまであと10年。あと10年はここでやりたい。いや、10年でKが来るわけだから、そのあと数年はやらねば。果たしてそんなことができるのだろうか。

 とにかく鍛えてもつかないくせに鍛えないと見る見る落ちる。

 試合中、膝と腰のダイレクト感は時間を追うごとに増していく。腰がゴリゴリ言う。足を着く度、膝が内側に回転しようとするのを感じる。筋肉が疲労し、衝撃を和らげる力を残していない証拠だ。だから、衝撃がダイレクトに軟骨や骨に当たる、適正な可動範囲を越えようとしている。

 車でいえばゴムブッシュがヘタりきってアーム同士がぶつかっているような状態。壊れるのは時間の問題だ。

 幸い、そうなる前に交代となった。心肺機能はまだ余裕がある。走るプレーを避けていたというのはあるにせよ。筋力が足りない。

 最近、こんな話ばかりしているけれど、今、とにかく色々なことと闘っているということは書き残せていると思う。じゃぁ、鍛えれば良いって、そう単純なものでもなくて、これもあちこち書いているけど、とにかく忙しくてそういう時間はない。体調を崩さないように、少しでも睡眠時間をとりたい、でも、仕事のため、自分のためにやりたいことはいくらでもある。そういう中で、体力の維持というのはなかなか実行に移されないのが現実だ。

 通勤をスポーツにするのが、最も現実的な方法だろう。この冬の時期だからこそできる方法である。

ともかくカッコイイ写真が撮りたい!

 ...というわけで、今日帰ってからは写真撮影の方法のお勉強です。

 このタイトルと全く同じ、「ともかく、かっこいい写真が撮りたい!」わけなのである。

 最近、その思いが再び僕の悩みの中で版図をすごい勢いで広げつつある。

 なぜか。

 また仕事の話になるのだが、仕事で自分の会社の商品を撮影することがあるわけなのである。まぁ、提案書や企画書を作る仕事をしているわけなのだが、専門部署が撮った写真がなかったり、あっても求めるシチュエーションの写真がなかったりすると、自分で撮ることになる。

 僕は、常にNEX-5を持ち歩いているので、もちろんそれを使って撮るのだが、いざ、パソコンに転送してみると、ダメだねぇ。まぁ、僕の技術もないんだろうけど、標準の16mm単焦点レンズじゃ話にならない。室内で撮ったやつはほとんどピンボケ。理由は不明。だから最近は重くてもニコンのレンズを付けて行っている。テクニックがないから、機材でカバー、というわけだ。

 なので、もう少しまともな写真が撮りたい!ってことで、読んでみる。飯食いながら読んで、風呂入りながら読んで。ページをめくるたびにかっこいい写真の数々。すごいなぁ。

 表紙にはこう書いてある。

 「思ったとおりの写真を撮れるようになる!!」

 ていうか、思わねぇし。

 思わねぇんだから、撮れねぇよな。まずそこからダメ。

 一つの景色を見て、ここはこういう風に撮りたい、つまり、「ゴール」である。車でいえば、ラインだよ。ここを走ろうというラインを描いていない。

 「ゴール」を描けないんだから、ただまぁ、カメラ向けてシャッター押すだけになるわな。車でいえば漫然と走ってるだけよ。「ゴール」がないんだから、うまく撮れても気持ち良くないし、違うにしても何が違うか評価のしようがない。

 描くためにはどうするか。

 良い写真を見るしかないんだろうな。この風景だったら、あの時見た、あの写真みたく撮りたい!って「ゴール」が描けるようになるまで。

 道のりは長そうだ。

体中がカユい...

| コメント(0) | トラックバック(0)

 今年もまた、である。

 これで4~5年目ではないかと思う。突如始まった冬のかゆみも恒例となった。最初の数年は医者の世話になったが、医者嫌いの僕はこれもまた医者に行かない方法を見出し、その方法を確立させつつある。

 歳と共に体質が変わっているのだろう。今までも、蕁麻疹の要素は持っていた。若いころも時々「発作」をおこしたものだったが、単発的なものだった。しかし、今となってはこの時期恒例である。

 なぜ、冬なのか。何がきっかけなのか、それは分からないが、おそらく冬の肌の乾燥であろう。夏に発生することもあるが、それはやはり単発に終わる。

 常態的に発生しているのは、やはり冬だ。

 パンツのゴムや服が擦れる場所などを中心に、蚊に刺されたのと全く同じような局所的な腫れがボコッとできる。目視で見てみると、その周囲にもボコボコ出来ている。靴下のゴム部分もそう。足一周、ボコボコになっている。

 肌が乾燥し、かゆみが起きやすい環境にあることも起因しているのだろう。そういう個所を無意識のうちに掻くと、そこからかゆみ成分が体内に充満する。忘れたが、たしかヒスタミンだったと思う。それが体中に回り、かゆいのでまた掻く、そしてヒスタミンが増殖し...。核分裂的にかゆみは増していく。

 にわか知識だから当たってはいないが、大外れでもないと思う。

 とにかく、経験的にはそうであることに間違いはない。

 掻くと瞬間的に強烈な快感を味わう。手が勝手に動く。それはまた新たな快感を生み出す。やがて、前後不覚に掻いてしまう。やがてかゆみが全身に及び、2本の手では処理しきれなくなって我に返る。掻いた場所は血がにじんでヒリヒリする。しかしそれ以上に、走り回り、絶叫するほどの痒みで気が狂いそうになる。

 この状態を僕は「爆発」と呼んでいる。自らの力ではどうにもならない。麻薬みたいなもんだ。最初数年は、毎回この状態にしてしまい、医者の世話になった。アレロックやアレグラといった薬を処方され、これに頼ることになる。しかしまぁ、これは効く。

 名前からしてアレルギーの薬なので、花粉症にも効くような気がする。この薬を飲んでいるときは花が楽になることも経験的に実感済みだ。冬にもらったこの薬を、温存しておいて、花粉症の時に飲んだこともあった。

 話を、元に戻す。

 薬の力を借りずに済ますには、かゆいのを少し我慢し、ヒスタミンが収まるのを待てば、かゆみはなくなる。僕の経験だと、数分我慢すれば気にならない程度になるケースが多い。あの強烈な快感には手を出さず、かゆみをじっと我慢する。

 この克己心に我ながら少々惚れ惚れしたりする。バカだねぇ。書いててホント、バカだと思う。でも、バカは僕にとって、最高の褒め言葉なのである。

 なので、とにかく掻き過ぎないこと。

 適当にちょっとだけ掻いて、あとは放っておく。そのうち忘れてしまう。また、ふとした瞬間に再びかゆみは襲ってくるが、軽く走ったり、他の人と話をしたり別のことに意識を行かせて忘れさせる。「爆発」さえさせなければなんとか切り抜けられる。

 かゆみの原因は、ストレスもあるようだ。昨日の話にもつながってくると思うが。

 今日は、早く寝よう。と言っても、もうすぐ日付が変わるけど。

 休めてないねぇ。ここんとこまた最近。仕事もプライベートもスケジュールがギッチリよ。

 嫌なんだけど、ヒマよりはイイと思うんだよね。特に、人生の折り返しが近付いてきてとにかく時間を無駄にしたくないっていうのが強くなってきたせいか、休んでいる時間はもったいないって感じるようになった。

 家に帰ってからはレブスピードのビデオ見ながら飯食って、サーキットでの走りが少しでもステップアップするようにと思っている。いつ行けるか分からないんだけど。イメージの中だけでも少しは足しになるはず。それにしても今月号の谷口信輝の走りは「芸術的だね!」と独り言を言ってしまうほど素晴らしかった。レブスピードの編集者の走りの次にあるので、その差が分かりやすい。

 今月号は本誌のサーキット入門も保存版だね。自炊してXPERIAに常備して電車の中とかで読めるようにしとこう。

レブスピード2011年12月号

 で、飯が食い終わったら、今度は風呂。風呂に入りながらはMovableTypeのお勉強。新しく「CMSとして使うMovableType5ガイドブック」という本を購入した。一応僕は、このサイトをうるふの怪しいホームページというウェブページの中に、「今日あたりの180SX」というブログがあるという、今までと同じ状態にしたいので、ブログの作り方中心の本ではその目的は達成できない。

 しかしまぁ、この本は僕には少々高度すぎるようなので、じっくり行こう。MovableTypeだって、必ず役に立つ日が来る。否、立たせるように仕向けてやるのさ。

CMSとして使うMovableType5ガイドブック

 

 で、今はこうしてブログの更新。

 MTにしてから、本当に気軽に書けるようになった。変にまとめて読み応えのあるコンテンツにしようとか、片肘張らなくなった。それが良いのかどうか分からないけど、とにかく自分の駄文を世の中にリリースできる回数は確実に増えた。

 ブログである以上、更新回数にやっぱりこだわるべきだと思うんだよね。質の低い回もあるかもしれないけれど、方向性としては間違えてないと思う。

 仕事もまた忙しくなってきた。そこにまた、今日上司から課長を飛び越してその上から「特命」が下った。何でオレ?って思うけど、仕事ができるやつのところには仕事が集まるんだと、最大限いい方向にとらえてお受けした。携帯やって、タバコ吸いに行って、携帯やって、依頼された仕事やってまた携帯やって、タバコ吸いに行って...ってヤツもいるけど、それよりは良いでしょ。

 下見てもしょうがないけど、僕も仕事ができる方じゃないから、下見るしかないよね。こんな野郎よりは良いハズ!ってね。そういう考えしてるオレって、イヤな野郎だって自分でも思うけど。

 少なくとも期待されているから命じられるわけで、程度の問題は置いておいてそこは間違いないんだから、ま、頑張るしかないよね。だから仕事はそれこそいつも爆発寸前よ。

 帰ってからは、休もうと思えば、休めるんだけど、そうはしたくない。

 ある意味趣味って、すごく時間効率がいいような気がする。

 まず、こうして書くことでストレス発散になってる。今日なんか特にそういう傾向が強い内容になってるけど、ここにはかなり本当のことを書いてると思う。

 で、なんだかんだ言って、これもまぁ、一応スキルにはなっていると思うんだよね。MovableTypeもアフィリエイトもできるしさ、一応書くにはそれなりに調べたりするし、書くことで自分の考えもまとまったりする。

 で、今度はこのスキルを仕事に役立てるわけだ。役に立たないって思っちゃうと立たないけど、何とか役に立たせてやるって仕向ければ、結構役に立つもんなんだよ。趣味と仕事のベクトルを一緒にしちゃうんだよね。仕事を得意分野に引き込んじゃうわけ。

 そうすると、今もう日付が変わっちゃってるんだけど、それでもそういうふうに時間投資する意味があるな、って思えるんだよね、自分の中で。投資効率が非常に高いわけ。

 だから、休みたいとは思うけど、実際の行動はそうはならないのである。

忘れてた感覚

| コメント(0) | トラックバック(0)

 今日は、Kのサッカーの試合のはずっだったけど、雨で延期になった。

 さすがにこんな雨の中ではやりたくない。自分も審判が割り振られていたので。3試合も。

 時間が空いたので、HPの移行作業を粛々と進めた。wolfkai.comの方の見てくれも課題だが、今後移行していくとなると、旧アドレスでメールも取得していたので、それを変更しなければならない。

 そうは言っても対外的には転送メールを公開しているので、ま、すのアドレスを直で指定していたのは金融機関とかそういう所への登録がほとんど。今日はそういったところに一つ一つログインして言っては「ユーザー情報の変更」的なメニューから、アドレスを一つ一つ変更していく作業と、wolfkai.comでのメールアドレスの取得と、転送メールへの登録の修正と、Gmailへの登録などを行った。

 これで、どこに送られてもひとまずGmailに来るような環境は整った。意外と大変な作業だった。

 まぁ、それ以外にもいろいろ仕事があったし、ピパ子氏もKの試合がなくなったらなくなったで、いろいろなところに連絡したり、来週以降の調整をしたりで連絡作業に追われた。

 その辺の仕事に集中するためと、最近いい加減そういった作業が夫婦共々多すぎるので、Kとカス子氏を実家に預けに行った。

 その時、実家でふと目についたのがこの本。

のんびり自転車の旅

 自転車かぁ...。最近、そういうものに熱くなっていないな。

 もちろん、今年買ったRENAULTのマイクロバイクは健在で、毎日の通勤の足ではある。この僕のこだわりの改造を施した超軽量自転車に毎日乗るのがささやかな楽しみだ。

 とはいえ、行き帰りのわずかな自宅と駅前駐輪場の往復だ。楽しいとはいえ、事務的な作業にちょっと非日常のテイストを加えるくらいのものでしかない。

 パラパラめくってみると「はじめに」に興味深い言葉が。

 -村から村へ、変化のある旅が面白い-

 むかし、このブログ(旧サイト)にもそんなことを書いたな。まだ、自分が教員を辞めて、今の会社に入るまでの、棚ぼた的に獲得した人生2度目の夏休み(1度目の夏休みは大学4年間)。

 旅について、そんなことを書いた記憶がある。

 たしか、高速道路で目的地へ行くのと、一般道で目的地に行くのとの比較で、高速道路は確かに早いが、いきなり目的地に着いてしまう。出発地から目的地までの高速道路に乗っている区間は、短いがそこは旅の楽しみはほとんどない、といった内容だ。

 (ああ、思い出して来た。指が勝手に動く。ここからは当時を思い出しながら書くのではなく、当時の感性がよみがえった今の僕が書いている...)

 逆に、一般道で行くと、出発地から目的地までの間、徐々に変化していく様子を連続性を持って見て行くことができる。関東平野から日本海へ行くには、徐々に山が近付き、山の間を縫い、途中いくつかの街を抜け、徐々に高度があがり、やがて峠を越える。

 峠を一つ越えるたび、空気や景色や人々の生活が微妙に変化する。

 昔の旅人は自らの足でこれを登ったのか。その苦労の末に見下ろしたこの景色は一体どんなだっただろうと、昔に思いをはせることもある。

 そうしながら大きな峠を越え、日本海側の斜面を下り始める。さっきと逆向きに流れる川がある。またいくつもの峠を越え、そして、きらめく海が見える。

 やがて海が手に届くほどまで近づくと、閉め切った車内にまで海の香りが漂ってくる。海なし県で育った自分には少し違和感がある香りだ。

 そういう変化を、途切れることなく、連続性を持って感じる。これってすごいことだと思う。埼玉と新潟はこうやってつながっているんだというのを、オレは体験したということに軽い感動を覚える。

 そんなことを考えていたんだ、当時の自分は。それを、さっきのフレーズで思い出した。

 しかし、ここ最近この日記に書いていることはと言えばほとんど愚痴ばかりではないか。あの、研ぎ澄まされた感性は一体どこへ行ったのか。仕事のストレスと、東京の汚い空気の中でしぼみ切ってしまったというのか。

 退化みてぇなもんじゃないかよ。

 悔しい。もったいない。

 もちろん、なくなってはいないと信じているが。どこかでひっそり息づいていて、形を変えて今も何かの役に立っていると信じているが。

 でも、確かに自分は、そういうことに完成を働かせ、小さなことにロマンを感じ、感動していた。

 「ちょっとこの本借りるわ」

 母親の主婦60氏(数字に深い意味なし)の返事を聞くでもなく、そのまま実家から持ち出した。

 せめて、この本で当時の眠った感性を、呼び戻そうと思う。

2017年10月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

アーカイブ

アイテム

  • today180_20111229.jpg

ウェブページ

Powered by Movable Type 5.12