2012年1月アーカイブ

 昨夜、めったにない経験をしたので、ゲリキャン白書は中断してそのことを書きたい。

 昨夜、寝たのは12時過ぎだった。帰宅したのは11時過ぎていて、その前の日も遅かったのでヤバイのでシャワーだけ浴びて即寝た。食事は、会社の近くで済ませていた。これも機会があったら別途書くけど、最近、就寝直前の食事はやめている。

 そして。

 「それ」は起こった。

 夜中、自分の身体が「おかしい」ことに気づいてなのか、起きたら「そう」だったのか。とにかくいったん寝入ったのだが意識が戻される羽目になった。

 僕の上に人が乗っている、のである。

 それも、4、5人はいる。

 ただ、乗っているだけじゃない。僕を押さえつけている。

 こういうのをオカルトと呼ぶのかどうかよく知らないままに、ここではそう呼ぶことにするが、僕にはそう言う趣味はない。なので、そう言うことに対してはまず否定的になる。しかし、確実に人だ。両手首を完全に「握られて」いる。僕の足には、「そいつら」の足が絡みついている。確実にそう言う「感覚」がある。

 たぶん、谷亮子に縦四方固めとかされたらこんな感じなんだろう。まったく動けない。力も入らない。しかし、明らかに人の足が絡まっている感覚だ。

なんだ、この家、何か「いる」のかぁ?

 意外と冷静だった。

 今から振り返ると眼は開けていなかったように思えるが、その時は隣で寝ているKとカス子氏とピパ子氏が見えていた。或いは心の目で見ていただけかもしれぬ。とにかく、見えた。みんな何食わぬ様子で寝ていた。それが、パニックにならずに済んだのだと思う。意外と冷静だった。

 そんなはずはない。絶対に動くはず。どこか、動かせるところを探すんだ。

 今から振り返ると、寝ていたのかもしれない。つまり夢の中ということになるのだが、意志はあった。

 僕は、夢の中でも意外と「自分」があって、やりたいと思うことがコントロールできるケースが多い。これは夢だ。だから起きよう。と思って起きることもできる。

 寝ているかどうかも判然としないが、とにかく動かせる場所を探した。しかし、ダメだ。他人の身体みたいだ。ただ、冷静になってみても、手首に感じるのは人が握りしめている感覚であることは間違いない。身体にも何人もの体重がかかり、足にもまだ誰かが絡みついていた。

 これは本当にすごい。冷静に何度も間違いないか確認しても、確実にそうだからである。こんなことは今までに一度もない。

 しかし、こんなこと、あるわけがない。絶対に、ない!

 ようやく動く場所を見つけた。顔だ。顔を逆向きにすることができた。反対は壁だ。折り重なる人影でも映っていたら失神するかもしれないとも思ったが、そう言うことはなかった。

 手が少し言うことを聞くようになった。すると、手首を押さえつけていた「力」が徐々に抜け、やがて自分のコントロール下に帰って来た。足も、ようやく動き始めた。上に乗っている「人」が、一人、また一人と減っていくようだった。それまで人の足が絡まっているような感覚は消え、正座した後のような足のしびれに変わっていた。自分のものでないような感覚はあったが、さっきのように人に押さえつけられているというものではなくなっていた。

 そして、自由が訪れた。僕の四肢は全て、持ち主である僕に返還された。

 直ぐに見たのは携帯だった。理由は分からないがとにかく時間を知りたかった。12時28分。寝始めてから20分くらいしか経っていない。

 起き上った。誰もいない。廊下に出て明かりをつける。当然、誰もいない。確実に現実に戻った。

 冷静にさっきのことを振り返ってみる。

 そうすると、たぶん、寝入って間もないまだ眠りの浅い時で、おそらく意識より少しだけ体の方が先に寝てしまったのではないだろうか。脳は寝ている間も活動している。

 わずかに意識はあるが、体はそれを受け付けてくれないのでまるで誰かに押さえつけられているように感じたのだろう。良く、自分の腕を体で踏んづけて寝てしまうと、後で指先が他人のものになったような感覚になるが、あの感覚に極めて近い。

 しかし、僕はそう言うのをを絶対に信じないという強い信念があったのにこうだから、信じている人は確実に「霊」だと思ったと思う。そのくらいリアルに「人」だった。そんなはずはないと思って再度意識を集中させても、「人」だった。

 これは本当にどう説明したらいいのか分からないが、脳は結構勝手で、理由の分からないものを自分の経験で納得するように事実を捻じ曲げてしまうことがあるのだという。この辺の話は、池谷裕二・糸井重里の「海馬」あたりを読むと詳しく書いてあるので、専門家の裏付けが欲しい人は参照するとよいだろう。

海馬―脳は疲れない (新潮文庫)

 それに倣えば、何だ理解できない重みを、「人に捕まえられている」と処理してつじつまを合わせようとした結果なのかもしれない。

 その後、またなるのではないか、という恐怖を感じることはなかった。自分の中で、正体のつじつまが合ったからだと思う。それはやはり、脳の仕業であって、決して僕の上に「誰か」が乗っていたわけではないからである。

 たぶん...。

 

 順調な滑り出しを見せた2011冬ゲリキャン。ゲリキャンとは、地元悪友との毎年恒例の怪しい酒飲みの会合である。果たしてどうなるのか。 →詳しくは(1)参照。

準備

 今年からの新しい試みとして、管理棟内にある調理室を借りたのは(1)で述べた通りである。幸い、前に使っている人がいなかったので前倒しで使えることとなった。

 食材を持ち込み、食器類を借りる。テレビ屋Tと悪友Nが食材を切り始めた。

 

DSC02723_.jpg 「じゃぁ、俺たちは今後の予定について奥様たちと打ち合わせてくるから」

 うるふはそう言うと、悪友Zと共に調理室を出た。

 くつろぎの郷を借りると、利用人数分の入浴券が出る。併設される温泉施設「峠の湯」で使える。今回は21時で調理室の利用ができなくなるので、それまでに終わらせないといけない。どのタイミングで温泉に行かせるか、このあたりは男共の勝手な行動は許されない。家族会議で決定する必要があるのだ。

 テレビ屋T、悪友Nもそのことをよく理解していた。「奥様たちと打ち合わせ」という言葉で、2人はすべてを理解した。

 

悪行

 「飲むぞ」
 うるふはコテージを睨み据えた。

 「ま、役割分担が大事ですな。クックック...」
 と、悪友Z。ゲリキャン開始前までの準備を行ってきたのはうるふ、悪友Z。だから当日の準備は残る2名に任せてもやむなし、どうせ包丁も人数分はない。「役割分担」とはそういう意味である。もちろん、詭弁である。

 恣意的に、悪友Zとうるふのコテージは同じ棟になっていた。蹴破るようにコテージの扉を開けるや、「やるよ!」と、高らかな雄叫びを上げた。鬨の声と言っても良い。

 悪友Zがみんなのために持ってきたスパークリングを開ける。このスパークリングワインは本来の利用目的とは違う使い方をされようとしていた。

 「いいの?!」

 ピパ子氏も悪友Zの奥様もそうは言いながらも盃を受ける。同罪だ。奥様を同罪に巻き込む。これは悪友Z流の緻密な計算だ。我々だけでは発覚した際、ものの見事に蹂躙されるが、奥様を味方につければ相手もそうは簡単に手を出せない。

 しかも、あろうことか悪友Zの奥様は暖炉に火を入れたいと言ってきた。

 

ゲリキャンと火

 ゲリキャンと火。これほどまでに素晴らしいマリアージュがあるだろうか。今まで、冬ゲリキャンではやけどの恐れがあるという理由で暖炉に火を入れることは避けてきた。しかし、今年は管理棟で食事をするわけだし、子供もそれなりに言えば分かる年齢になってきた。

「やろう、やるぞ!」

 良いテンションになって来た。まさに「悪友」を名乗るに相応しい悪行の数々。1500円で管理棟で薪を購入し、さっそく火を入れる。

「点火~!」

 これだ。この声だ。この、脳味噌がとろけてハナから漏れ出ているかのようなバカ声が、ゲリキャンのスタートには必要なのである。必要とされていることを行った。それを以ってこの行為を大義名分化しようと、各々の脳の中で努めていた。

 しかし、悪事は必ず裁かれる運命にある。

 

DSC02702_.jpg「ぬをっ!」
「不完全燃焼か?!」
「目が...!」

 暖炉の扉を開けると、一瞬にして室内が白煙に包まれたのである。酸素を得た炎が再び燃え上がる。激しい目と肺の痛みが4人を襲う。

 どうやら、煙突側の扉が閉まっていたようである。心に負い目があるせいか、落ち着いて説明を読まずに始めたのが原因である。全ての窓を開け放ち、タオルなどで強制的に扇ぎ出してようやく治まってきた。そしてそこへ二の矢が飛んで来る。

 「...何やってんの?」

 さっきまで食材を準備していた悪友Nが余りに来るのが遅いので見に来たのである。すでに各人2~3杯目で、ワインは2本目に入っていた。奥様方まで巻き込んでの堂々とした悪事に、悪友Nは笑うしかなかったが、その眼は怒りに満ちていたと、後のピパ子氏は回想している。

 -「奥様たちと打ち合わせ」の一言で、すべてを理解した-
 その以心伝心をこのような形で踏みにじるとは、親しき悪友の中には礼儀なし、である。はたまた、これからは何が起こるか分からない時代なのだということを象徴的に示した行為なのか。

 「まー、まー、とりあえず、飲もうか!な?な?」と、悪友Z。ミイラ取りをミイラにする作戦だ。そこへ遅れて到着したダム屋KKも入ってくる。出てきた言葉はいみじくも同様、「何やってんの?」であった。

 「早く、風呂行こうよ」
 「風呂か。そうだな、今話し合ってそう決まったところだ。ヨシ、行こう。時間がなくなるとヤバイからな」

 悪友Zは取り繕うようにそう言うと、酒宴を切り上げ、一行は峠の湯に向かった。

 -つづく-

 「あ、そうだ、またコテージとるの忘れた」
 「くそ、またメール出すの忘れたよ」
 決して忘れてたわけではない、と、言いたい。しかし、実際問題、瞬間的には忘れている。それが悔しい。
 2011年冬ゲリキャン。やらねばならないと思いつつ、思い出すのはいつも、それができないときであるのが恨めしい。自分自身への苛立ちだけでない。焦燥感も募る。
 このままじゃ、コテージが確保できなくなるぞ...。
 毎年恒例のゲリキャンが、宿を取れないなどという情けない理由で、実行不可能になったら、償いきれない。歴史は途切れさせたら、1からやり直しになるのみ。つなぐしかないのである。分かっている。わかってはいるが、それができぬ。平日は仕事で、会社に行けば一気呵成に業務は始まる。他のことを考える余裕はない。気づけばもう、7時8時だ。平日9時~17時に予約を取ることがなかなかに難しい。
 休日も然り、朝からKの少年サッカーであったり、自分のサッカーであったり。片や家事であったり、買い物であったり。やることはいくらでもあるのだった。
 しかしながら、これではどうしようもないので、ある日、うるふは夜の21時過ぎというかなり非常識な時間帯にコテージに連絡した。もう、思いついた時にやるしかない。群馬県松井田町、くつろぎの郷。かろうじて、8人用コテージ1棟、6人用コテージ1棟、および今年は新しい試みとして、調理室を4時間借りた。
 肩の荷が一つ下りた。
 「これで、最悪の事態は脱した...」
 うるふは、ほとんどそのまま布団に直行した。このあとの記憶は、あまり残っていないという。
 
新しい試み
 各メンバーの子供の成長につれ、8人用コテージに一堂に会しての食事が困難になってきた。この問題は実は3~4年前から見えていたのだが、今になるまで解決策が見いだせないでいた。
 うるふは180SXに乗りたいという欲求を、次期冬ゲリキャン開催場所を探すという大義名分でピパ子氏が拒絶反応を示さない程度まで希釈して、埼玉、群馬、栃木から、茨城、長野、東京、山梨までその探索範囲を広げた。
 しかしながら、やはり2人の子育てをしながらの調査は、単に点の探索の連続でしかなく、網羅的なものとはなり得なかった。
 ただ、夏ゲリキャン用として、武尊高原牧場キャンプ場などの副産物の収穫はあった。ここでは過去実際に夏ゲリキャンが執り行われている。
 2011年。岩手から来るダム屋KKの長女、ダム屋KK娘。はすでに6年生になっている。もはやもう限界である。新たな場所の確定が、喫緊の課題となっていた。
 この多忙な時にもかかわらず、うるふと悪友Zは数回東京で怪しい会合を持っていたのは、賞賛すべき行動である。家庭を持つ男にとって、早く帰宅しないのは、家内円満の切り売りにすぎない。
 そんな中、悪友Zが携えてきた妙案は、我々にとって大きな期待となった。それは、くつろぎの郷にある調理室を追加で借りてしまおうというものだ。通常そば打ち体験などで使っている施設で、アイランド型のキッチン2つと、壁面のキッチン1つがある。隣には16人収容可能な試食室も用意されており、4時間で5000円というものだった。
 -灯台下暗し- うるふは違う所を探すということしか頭になかった。無論、180SXに乗って新しいところを旅したいという欲求が邪魔をしていたことは間違いないが、それにしても、こんな施設があったということを認識していたであろうか。この施設は我々が利用を始めた時から管理棟にあり、毎年そこから各棟の食器を持って行っていたので、確実にその施設の存在は知っていた。しかし、そこを借りるという頭は全くなかった。
 DSC02726_.jpg
 かくして、2011年、12月30日を迎えた。遅れると思われた悪友Zは結果的にチェックイン時間前に到着し、同じくダム屋KKも9時半に出発したのでいつになるか分からないとのメールを送っていたが、北関東自動車道開通の恩恵を受け、16時ころには到着した。
 前に借りている利用者がいなかったために、15時から使えるという恩恵にもあずかれた。2011年冬ゲリキャン、怪しい面々は無事集結し、順調な滑り出しである。
 -つづく-

 唐突に千葉に向かっている。こういう時でないとなかなか行けないので。

 運がよければ(?)UST生中継が見れるかも?(チャンネルはこちら)

 

 で、結局この日は舘山まで行って、フラワーラインを走ってきた。やりたいと思っていたビデオ撮りや写真撮影もそれなりに行って、持って行った自転車にも乗って、突発的に寄った道楽園とか言う所でマグロの握りも食べたし、意外と充実したかな。

 ただし、帰りには予想通り、渋滞にはまって、湾岸道から帰ろうと思ったのに車線変更できないまま京葉道路に行ってしまい、大渋滞にはまる。

 このあたりからUSTを再開したのだけれど、途切れ途切れで5本くらいになってしまったので、少々整理した。

 電波状態で勝手に切れてしまい、面白いところが長いのの最後の方になっちゃったり、なかなか難しいね。

 まぁ、結局最後は京葉道路を下りて、東関東自動車道~湾岸道路沿いの国道から、行徳を抜けて荒川の東側に沿って北上して再度四ツ木ICから再び首都高に乗って帰った。

 以下はその時の映像。

 

 帰ってからチェックしてみたけど、設備上の問題点も結構ある。まず喫緊の課題は、カメラの設置位置。下に写り込んでいるワイパーや、リトラクタにピントが合ってしまって、肝心の景色がピンボケであること。これは最悪。もう少し上を向けるだけでもずいぶん違うかもね。

 あとは、音声かな。しゃべりが聞き取りにくい。これは自分の発声にも問題があるんだろうけど、もう少ししっかり拾ってほしいな。マイクとか自分に向けて設置すればいいのかもしれないけど、あまり設置が面倒だと、やらなくなっちゃうからな。やっぱり、カメラの設置位置をもう少し高めで自分に近づければだいぶ違うかも。

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