2015年8月アーカイブ

先日、電車の非常用ドアコックを開けると言う、珍しい経験をしたので報告したい。
東西線門前仲町駅下り線でそれは起きた。時刻は多分17:30頃ではなかったかと思う。
僕は手前の茅場町から乗車し、一駅乗って門前仲町で降りる予定だった。
茅場町の乗り口は右で次の門前仲町の降り口は左。結構混んでいたので反対側に降りられるかがやや心配だった。
人の陰で見えなかったが、子供の声が、門前仲町での降り口の方から聞こえて来た。少なくとも2人はいて、1人は小さくて喋るに至っておらず、言葉になっていない声だったため、ベビーカーに乗っていることが想定された。
この人ごみをかき分け、ベビーカーも避けて降りるのはちょっと難儀しそうだ、と思った。
門前仲町駅に入線。降りる人は少なそうだ。
「すみません、降ります!」
と言う僕の声は、
「痛い~!」
と言う声に掻き消された。続いて
「どうしよう、挟まっちゃった...!」
と言う、母親の声にならないような小さな声。しかし、ベビーカーのハンドルを握ったまま、成す術もない。
ベビーカーの先には3才くらいの子供がドアに胸を密着させた常態でへばりついており、ドアは半開きだった。
子供の腕が、戸袋に巻き込まれたのである。この事故の注意は結構表示されているが、実際に現場に居合わせたのは初めてだ。
「痛いよ~!」
泣き叫ぶ声が車内に響く。
状況を察した僕よりドア寄りにいた数名の大人が開くドアを制する。
電車のドアは空気圧を使って開閉されており、ある程度の力を以てすれば対抗できる、と言うのが僕が持ち合わせている知識だった。
しかし、現実は違っていた。
挟まっている子供は自動ドアのガラスより小さいため、外からは車内の惨状は見えないはずだが、数名の大人が開こうとするドアにたかってそれを制する様子を見て異変を察知した数名が、外からも加勢した。
しかし、ドアは無情にも徐々に戸袋内に収まる方へ動いて行く。
力は十分にあると思われるが、持つ所がないと言うのがその理由のようだ。
閉まるのを制することは比較的簡単だが、開こうとする扉を人力で引っ張る形で阻止するのは現実には難しいようだ。そうなると、ドアに挟まれることよりも、戸袋に手などを巻き込まれる方が怖いという事になる。
「ギャー!」
子供は言語を発することはもう出来ていない。
この状況とは全くマッチしない門仲の発車メロディーが鳴る。
「非常停止ボタン!」
誰かが叫んだ。そうだ。この状況を駅係員に知らせねば。それには非常停止ボタンが最善の方法だ。
僕もドア周りを探すが、見つからない。暫く探してドア左側にそれらしき物を見つけた時には、誰かの指先がそれを押していた。
駅全体に等間隔に設置された赤色灯が一斉に点滅を開始。同時にサイレンも鳴り響く。
これで列車が発車する心配はなくなった。しかし、ドアの方は相変わらずだ。
「駅員呼んで!」
「ドアに手が巻き込まれた」
乗車を待つ人に対し、口々に助けを求める。
この状況を一気に逆転する方法。それは、非常用ドアコックしかない。
普段乗っている高崎線E231系にはその表示が、ある。
東西線にもE231系は走っているが、これはそれではないようで、そのような表示は見当たらない。
スピーカーのようなものと、無表示の小さな扉があるだけだ。
-身体が勝手に動いていました-
テレビなどでの救出劇の報道でヒーローとなった人がよく言う言葉-
ホントかよ、と冷めて聞いていたこともあったが、今、自分がそれをやろうとしている。
驚きつつもそれでいて冷静に自分がこれからやろうとしていることを、第三者的に見ている自分が、そこにはいた。
僕はその無表示の扉の指掛け穴に指を挿し入れ、扉を上方向に引き上げた。
赤いレバーのようなものが見え、「左に90度回して下さい」的な刻印が見えたと記憶している。
回すとどうなるのかは書いてなかったようにも思うが、今思い返してもわからない。だが、僕はそれが非常用ドアコックだと、思い込んでいた。そもそも、非常用ドアコックが何をするものなのか、これを回せば空気圧が抜けてドアが手で開けられるものだと言うのもまた、今から思えば思い込みに過ぎなかった。
駅係員の指示もないのに、こんなものを操作してもいいのか?!一瞬だけそうした考えもよぎったが、振り払うのは容易だった。自動ドア対大人数名の決死の綱引きは、コックに指を掛けた僕の下で、人間の敗北の方にどんどん近づいていたからである。
先ほどの刻印で反時計回りに回すのだと解釈した僕はそういう操作をしようとしたが、それに反してそのレバーは手前に起き上がった。
左とは、こう言う意味か...。
そう思ったと同時に、「プスッ!」と言う、予想より短めの解放音。
魔法が解けたように、ドアは力を失い、形勢は一気に逆転した。
ドアはゆっくり戻り始め、「取れました!」と言う母親の声。
答え合わせは、一瞬にして終わった。僕の思い込みは、全て正解だったのだ。そしてその知識は、大人数名でも敵わなかった戦いを、指先一本で逆転させたのである。
子供は驚いたような表情で、涙は止まっていた。
怪我も特にないようだ。戸袋の入り口にはゴム板があるが、中は比較的広く、子供の腕が入るスペースはあったのだろう。この親子は門前仲町で降りる予定ではなかったようだが、誰かが「一応、降りた方がいいんじゃないですか」と言ったのでそれに従っていた。
かなりの人がいたが、ほとんどの人の目は子供とドアを制する大人たちに行っていて、僕が非常用ドアコックを操作したことにほとんど誰も気づいていないと思う。
ドアと格闘していた人たちも、同様だろう。一定時間ドアが動かなかったから安全装置が働いたとか、そんなふうに思ったようである。
僕はそのまま列車を降りた。赤色灯の点滅は依然として続いており、暫く歩いたところで、血相を変えて走る駅員とすれ違った。
勝手に非常用ドアコックを操作したことをなんか言われても面倒だとも思ったが、駅員の動きがこれだけ遅いなら絶対に大丈夫だ。
そう言えば、非常用ドアコックを戻すのを忘れてた。
そう思ったが、
「ドアトラブルで停止しておりました西船橋行きですが、間もなく発車致します」と言う放送が改札を出る頃聞こえて来た。
どうやら大丈夫だったようだ。

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