2019年4月アーカイブ

 いつもは、なんか日々の愚痴が多めのようになってきている当サイトであるが、今日は彼について書きたいと思っている。要は彼をベタ褒めする内容になる。このサイトがどのようにして残っていくのかは不明だが、今の気持ちをどこかに残しておきたいという想いもある。

 読者の皆さんにとってはいつにも増して長く、ハッキリ言って面白くない内容になることを事前にお断りしておく。今回は敢えてある程度の批判は考えずに文章として残していくつもりだ。

 たとえこのサイトが滅んだとしても、いつしかK本人が、世界のWeb保存サイトなどから偶然見つけて見てくれたりしたら...なんて思ったりもする。



 4月8日、Kはとある高校の入学式であった。もちろん、僕も妻のピパ子氏も一緒に行った。

 ここは、埼玉県の公立高校ではトップクラス、いや、トップと言っていいだろう。僕自身、非常に興味がある。

 こう書くのは、あくまで端的に彼のここまでの努力を表現したいというだけのことである。ウチは別段こうした特定の高校や大学名を挙げ、「○○高校に行って、○○大学に行ってね」なんてことは全くしていない。K本人が部活ができる高校ということをまず第一条件にしつつ、それ以外の事も総合して決めただけの事である。

 ただ、この学校には我々親も期待しているというか納得している所があって、「学歴だけで実際仕事では使えない社会人」を作らないという気概を感じる教育カリキュラムになっている。

 従って、今のKの高校入学も単なる通過点に過ぎない。これから努力を怠れば、或いは努力はしたとしてもその方向を間違えば、使えない社会人となって世の中を混乱させる原因になってしまう可能性だってあるわけだから、気が抜けない。

 さりとて、この高校のブランド力は強力だということを色々知った。中学校の時から成績は良かったので、ある程度「すごいね」とは言われていたが、合格が確定してからは「どうやって育てたのか」「どこの塾に行っていたのか」などの質問を多く受けるようになった。

 どういう意識で聞いているのかは分からないが、「どの塾が子供を優秀にしてくれるか」と考えているならば、その考えは変えた方が良い。

 これは、自分がかつて公立中学の教員だった頃にも感じたことだが、誰かに成績を(運動でも、しつけでも何でも)良くして「もらう」と言う考えが根底にある家庭は厳しい。

 自分の子供を育てるのは他の誰でもない、親なんだ、という気概が絶対に必要だ。担任が誰でも、塾がどこでも、子供の教育の責任は親にある。親以外の者にどうして影響が与えられようか!くらいの気持ちが必要だと思う。

 実際には教員も塾も、当然のことながら子供に影響を与える。これは間違いない。しかし、学校も塾も全てが良い先生なんてありえないし、社会に出たら、もっとそうだ。良い環境からも、ダメな環境からも常に学び、自らの成長に変える術とせよ、そういう躾を、親はしなければならないと思う。

 ちなみに、先ほど「ブランド」と書いたが、ブランドで学歴を飾ることはプラスだと思う。チャンスが巡ってくる可能性が高まるからだ。ブランドはKの努力の成果を端的に示すことができるし、ブランドとして確立されていれば覚えられる可能性も高まる。覚えられれば与えられるチャンスも増える。

 僕は時々、Twitterに格言めいたことをアップしているが、これは

ラクなことの先に、大したものは待っていない
将来は自分の思った通りになる

という僕の考えが根底にあって、それを色々な形で教えてきたし、Kはそれを実際に理解し、やって来たと思う。

 結局、夢をかなえるためには努力は必要だ。努力を続けるには大変な時もある。それに打ち勝って夢は初めて手にできる。夢は誰でも叶えることができるのだが、多くの人は努力の辛さに負けて、やめてしまっているだけなのだ。

 しかしながら、小さい年齢のうちにこれを理解させるのは困難だ。変な話になるが、Kが4月生まれになるように計算した。結果は5月3日生まれとなったが、3月生まれの子とはほぼ1年の成長の差がある。もともとKは器用で、入園前から生活全般のことをある程度やらせらていたことも手伝って、何をやらせても出来は良かった。しかしKは「自分はできる」という大いなる勘違いをしたまま成長したのだった。

 周りもKはできる、スゴイ、と扱うものだから本人もその気になって、自分のやることは早々に終わらせ、できない子を教えたり手伝ったりする雰囲気になっていた。それがまたKの成長を加速させた。

 さらに幸運だったのは、長距離走が速かったことである。

 幼稚園年少のマラソン大会でいきなり1位だった。この走りを見て「行ける」と思った。

 長距離走は僕自身も速く、ここには一家言あり、絶対に速くしてやる、と言う気持ちがあった。長距離走の良い所は、早くなるための努力は確実に辛いが、結果もまた確実に出ることである。「ラクなことの先に、大したものは待っていない」という僕の格言を経験として教えるのには恰好の材料なのだ。

 Kは幼稚園から6年生までのマラソン大会を全て1位という成績を残した。毎年、打倒Kを掲げる挑戦者が現れたが、その度に蹴散らした。Kは益々「夢をかなえるには努力をしなければならない」ということを実体験として理解するに至った。

 ちなみに、このKを走らせるカリキュラムには、妻ピパ子氏の努力を挙げないわけには行かないだろう。僕は仕事で帰りが遅いため、代わりにピパ子氏が学校が終わった後、毎日計画的に走らせていた。

 「計画的」ということに関しては、ピパ子氏の力が非常に大きい。

 長くなってきたので2回に分けたい気持ちもあるが、こんなことを2度にわたって書くことでもないので、いつも長い僕の日記が今日は輪をかけて長いが無視して続ける。

 いかに大きな夢であっても、目標までの期間で割って、1日当たりの努力にしてしまえば、意外と小さなハードルになる。それを一つ一つ越えていけば、いつしか夢は手の届くところに来ている。

 そして、その努力の積み重ねは、常に先にやらせる、ということを徹底させていた。例えば宿題は帰ったらすぐにやらせ、明日の準備をさせる。遊びはそれから。

 典型的なのは夏休みの宿題だが、全て計画を立て、大体その計画よりもさらに前倒して終わらせていた。「オレは宿題は終わったんだ」という安心と自信の中で心行くまで遊ぶ。この心地よさは体験させるしか味わう術はないし、だからこそ次のチャレンジができるのだ。宿題が終わっていないのに、どうしてその次のチャレンジができようか。

 夏休みと言えばKには必ず登山をさせていた。ただこれはKが自ら「探検の旅」と呼ぶ新しいチャレンジを求めたのがきっかけだ。K本人が、どこでその様な言葉を聞き、それを求めたのかは分からない。しかし、小学1年の時にそのようなことを言ってきたので、何がしたいか聞いたところ自転車に乗りたいとのこと。

 本人のやる気に対して、親が適切な課題を与える。僕はこのチャンスに、八ヶ岳の坂道を自転車で走らせることを計画した。距離にして約30km。なるべく山肌を横移動するようなコースにはしたが、それでも八ヶ岳の高原道路である。平坦なわけがない。山に向かって直登する部分もどうしても出てしまう。

 本人はやる気満々だが、1年生である。挑戦に先立ち、2度練習走行を行った。1回目は平坦な道を50km。これは予想した時間よりはるかに短く走り切ってしまった。それどころか、子供用とは言え5段ギアの自転車に、シングルスピードの僕の方が遅れ気味になるくらいだった。次に赤城山の山道を20km。こちらも全く問題なし。

 本番の八ヶ岳も結局は難なく走り切った。1か所1kmの直登コースは自転車を手押ししたが、僕の軽量化仕様の自転車の倍くらいの重さの子供用の自転車(誰でも持っている子供用の普通の自転車です。特別な仕様の物ではありません)の手押しは相当きつかったと思うが自分でやらせた。

 ただ、本人にしてみれば、これは試練とも思っていなかったようだ。とにかく景色は最高だし、気候も大変良く、上った後の下り坂は強烈に楽しかったらしい。

 この探検の旅は小学校の間、夏休みの旅に繰り返され、2年生からは登山になった。最後の6年生ではテントを担いで北岳と間ノ岳に2泊3日で登るだいぶ本格的なものになった。

 登山もまた、長距離走と同じく、努力の先に達成があることを知る良い教材である。特に一歩一歩の小さな努力が確実に目標に近づくことを教えてくれる点に於いて優れている。そして、山頂で見る景色は、それを信じてやり続けた、選ばれしものだけがたどり着ける眺望であり、達成感と言う花を添えらえれたその眺めは写真で見るものとは全く異なる見え方だということを百の言葉よりも鮮烈に刻み付けたに違いない。

 1.できるだけ具体的な夢を描く
 2.夢の実現に期限を決める
 3.今日からその期限までに達成することを細分化する=計画と日々のハードルを小さくする
 4.計画的に実行する
 5.辛くても「信じる」=辛いということは「伸びている」証拠
 6.夢が手の届くところに来たら飛びつく勇気を出す

 要はこの繰り返しである。これを夏休みの宿題だったり、マラソンだったり、登山だったり、Kの場合はサッカーもやっていたのでリフティングだとか、そういう小さなことで夢(目標)→努力→達成ということを繰り返し、実体験として覚え込ませる、ということを親がどれだけ提供できるか、である。

 一番最後の「夢が手の届くところに来たら飛びつく勇気を出す」がまだだったが、これが結構大事。マラソンを例にすれば、ゴールが近づいてきた時、まだ前に一人いたらどうだろうか。ラストスパートをどこで仕掛けるか。ここで仕掛けたら最後まで体力がもたず、失速して5番くらいになってしまうかもしれない。だったらこのまま2番でゴールするか...?

 ちなみにここで、2番でいいやと思った人は、2番になります。夢は思った通りになるのだ。

 人はなぜか、叶えられる夢を目前にすると、失うことを恐れてか、逆に飛びつけなくなる。ここで、どうやって「自分は一番になるべき人間だ、思い描いてきた夢をかなえるのは「今」だ!」と思えるか。

 色々あるけど、Kによく言っていたのは、「日本で一番高い山は誰でも言える。でも二番目に高い山はほとんど知られていない」ということ。

 で、なぜ、覚えてもらう必要があるのか。最初の方でも書いたが、「チャンスは自分でつかみ取る」とはよく言われるけど、結局人生、チャンスと言うのは誰かに与えてもらっているものだったりする。よく思い返してみれば、そうだったのではないですか?であれば、覚えてもらった方が与えられるチャンスは増える。一番と二番の間には他人の覚えに大きな差がある。

 ちなみに2番目に高い山は北岳で、Kを6年の時に登らせた。僕は富士山より先に2番の北岳に登らせたかった。登ればさすがに覚えるし、与えられるときは仕方ないとしても、もしKが与える側になった時、その時には2番の人にも目を向けて欲しいという気持ちが含まれている。富士山は親が与えなくてもこれからのKの人生で登るチャンスはたくさん来る。

 そして僕は、ロータスエリーゼを買った。これを教育の一環と言うと必ずピパ子氏はキレる。まぁ、自分でもそれは美化しすぎだと思うが、夢は目の前に来たら飛びつく勇気を出す、ということに於いて、これをやってのけた手本としたいのだが。

 エリーゼなんて、僕の場合、乗り出し300万である。プリウス買える人なら誰でも買えるのだ。欲しいと思うなら、飛びつく勇気、それだけである。多分フェラーリだってその延長上にあるのではないか、と、僕は思っている。

 Kよ、今の結果を社会で発揮するとき、目の前に飛びつく勇気を出すときは、お父さんがエリーゼを買ったことを思い出すんだよ。

 Kが中学に入って、最初の中間テストの結果が返って来た。僕が帰宅するや、ピパ子氏が言う。

「Kが1番だったんだけど」

 Kは入学後すぐのスポーツテストでも短距離、長距離ともすでに1番をたたき出していた(ちなみに走りに関しては3年までには陸上部の生徒に抜かされた)。そこに来てテストも1番。学校ではヒーローと化していると言う。

 これでピパ子氏のハートに火が付いたようだ。丁度、Kが幼稚園の最初のマラソンでKが1番だった時のように。

 結局Kは3年間、ほとんど1番を取り続けた(残念ながら、1~2回の2番はあった)。成績表の平均は5教科、9教科全て5で高校に提出した評定平均は1年から3年まで全て45。この成績だと、どの高校の事前相談に行っても「何も言うことなし」で褒められ続け、その自信が次の努力を呼ぶスパイラルに入っていた。

 ややテクニック的な話になるが、埼玉県の場合は、1年生からの通知表の成績が加味されるので、3年間45だと、この加点が助けてくれるので当日の試験が少々悪くても助かる可能性が高い。漢検2級と英検準2級も取っていたのでこれも加点。親はこういう下調べと計画的に受験させてこうした資格を取らせるというのも必要。

 さて、相当長くなったがまだ続く。

 じゃぁ、Kは遊ばせなかったのか?ゲームは?ともよく聞かれた。

 ゲームは、やらせまくりです。受験前も封じることは一切なし。ご本人も、極めて「計画的に」ゲームをされていたようで、毎朝1時間のおゲームは高校受験当日も欠かすことなく実施されておりましたです、ハイ。

 ここまで話すと、毎朝1時間と決めていたんですね、と言われますが、違います。夜もしっかりやっておりました。

 なぜかと言うと、僕自身がゲームにはまったからこそ今の人生があったから。僕は成績はからっきしだったけど、ゲームは脳ミソが腐ってハナから出てくるくらいまでやった。当時は今のようにゲームが豊富ではなく、ゲームを槍田すぎて自分で作るようになり、プログラムができるようになった。

 「ゲームデザイナーになりたい」という「夢」があったが、さっきの話じゃないが、夢の描き方が甘かったのでゲームではなく、ビジネスソフトになってしまったが、そういうものを開発したことがきっかけで今の会社に入社した。

 でも、遊びだろうと何だろうと、本気でやったものが一番自分を助ける、と言うことは身体で知った。

 ということで、僕はKが幼稚園のころから何かにつけてゲームをやらせ、ストリートファイター2で花開かせた。そして知らぬ間に海外のプレーヤーと対戦して、言葉も分からないくせになぜか彼らと「会話」までし、ロシア人の操るブランカとはよく勝負していた。ちなみに僕は顔も見たことない人とネットで対戦、なんてことは怖くてできない。途中で回線が切れたら...、トイレに行きたくなったら...、とかそういう事ばかり考えてチャレンジできないのだが、5歳児はそんなこと頭にも浮かばない様子だった。

 だがこれは僕の計画の前段に過ぎない。そう、「ドラクエ」だ。

 おそらく将来、日本の歴史で「平成の文化」として名を遺すであろう「ドラクエ」、僕の人生を変えた「ドラクエ」は、Kの人生も買えるはずだ。絶対にやらせなければならない。特に僕の中での最高傑作である「4」。「これは名作だからやりなさい」と半強制的にやらせた。そこは名作、Kはいとも簡単にドラクエ気違いとなった。僕のドラクエは6くらいで終わったが、Kは今でも次が出れば必ずプレイしている。

 さぁ、そしてこれから、彼はどうなっていくのか。

 Kの入学式の日に書き始めたこの日記、長編すぎて書くのに数日かかっており、その間に入学直後の学力テストが行われたようだが、今回成績は芳しくないようだ。点数はもちろんそれほど悪くないが、上には上がいる。順位としては、過去に見たことのない数字となるだろう。埼玉県からそういう生徒だけが360人集まっているのだ。ある程度は仕方ない。

 しかしながら、学校行事を重んじるこの学校に於いて、学校行事を担当する係になるなど、一定のペースは掴んでいるようだ。K自身も自分の考えがしっかりしてきて、親の言う通りには動かなくなってきている。

初めて味わうであろう、挫折らしい挫折。

 親の考えに背を向け、これからは自分で動こうとしているKが、これまで身につけてきた習慣で、挫折に対しどう戦っていくか。そして僕たち親は、彼自身が距離を置きたがっている中で、どう関与していくのか。

 戦いは、まだまだ続く。

今日あたりの180SX:走行距離308,457km

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